小中学生の頃は、自分の価値観ややりたいことが自然に出てきて、主張も強かった。
しかし高校に入ってから、信じられるものがないと感じるようになり、いわば方法的懐疑のような態度に陥った。思考の出発点から先へ進めなくなってしまった。

疑うこと自体が目的化するのと、確実な基盤を得るために疑うのとでは本来異なるはずだが、前者に近い状態になっている。
社会という人間関係の中では、価値の相対性を前提とする立場は一種の「OS」として必要に思える。しかし個人の人生において価値相対主義を徹底すると、虚しさや無意味さしか残らない。

1自分が選んだから正しいとする立場
2「役に立つか」「生きられるか」で暫定的に採用する立場
3生存や適応の結果として価値を捉える立場

しかし、いずれも最終的な根拠としては弱く感じられるため、どれを採用するか都合よく切り替えている。逆にいうと、現時点では価値判断の基準も目的も見出せていない。